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子どもの日に思うこと


僕は親からの過干渉に息苦しさを感じて育ったので、 我が子の子育てにおいては、 自分自身でいる自由を与えるということを

何よりも優先してきました。

習い事なども、親サイドからの働きかけや誘導は

絶対しないで欲しいと、妻に頼んでいました。

特に進路については、 親に押しつけられる辛さを嫌というほど味わったので、 子どもが自然に夢中になれたことや生来の資質を

できる限り尊重しようと心がけてきたつもりです。

娘たちは小学校を卒業すると、私立の中高一貫校に進みましたが、

僕と違い、本人自身が望んで選択した中学受験でした。

周囲には親の意向で3~4年生から塾通いを始める子が多い中、

まだ遊び足りないという気持ちもあったのでしょう、 どちらも高学年になってから

通塾したいと打ち明けられたのを憶えています。

早いもので、今年で長女は25歳、5学年下の次女も20歳になります。

二人とも、僕の20代前半よりずっと自己信頼感があるし、 節目節目の選択を見ても、天性に沿って生きているな、と感じます。

でも、僕は決して子どもの事を優先して考えるタイプではなかったし、

何事においても、常に僕自身の自由こそが一番大切というスタンスでした。

何も言ってくれないし、関わりたがらないから、なんかもの足りない・・・ 友達のお父さんと違うのは、パパが一人っ子だからかな?

娘たちからは、そう思われていたようです。

これは、自分自身でいる自由は尊重しても、 妻や子どものために自発的に何かをするという気持ちが

極端に欠けていることに気づけずにいたせいでしょう。

親から干渉され過ぎたことへの反動で、 逆の極端に走った在り方をしていたのだと思います。

ただ、僕に足りないところは

伸び伸び育ちで情に厚い妻が陰でフォローしてくれていたので、

夫婦の関係が悪化するまでは、

それほど問題になっていませんでした。

今、振り返ってみると、

子育てに限らず、あらゆる面で​妻に支えてもらうことで

生活が回っていたのに、それをさも当たり前のように感じ、

彼女の苦労をまるで気にかけていませんでした。

そして、半ばイデオロギー化した生き方を貫くために

彼女に背を向けて暴走し、家族の心を傷つけてしまいました。

当時は、魂に従いハート全開で生きている気になっていましたが、

実際には、いわゆるマインド・トリップに脳が騙されて

家族のことがすっかり見えなくなっていたのです。

恩知らずだった自分を悔悟しています。

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先日、ふと気づいたのですが、妻がブログを始めたのは、

ちょうど僕に見性体験が起こった頃でした。

記念日に、久しぶりに記事を書いていたので、

リンクを張っておきます ⇒『D E C A D E (since 2006.5.1)

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