なぜ人にどう思われるかを恐れるのか?
前回の記事で、親をはじめとする他の人から
肯定的な評価を取り下げられ、非難を浴びせられることを、
エゴはとても恐れると書きました。
実際、どんなエゴも、人にどう思われるか、どう言われるかを、
多かれ少なかれ、必ず恐れています。
というのも、そもそもエゴというものは、
自分についての他人の意見によって形成されたものだからです。
赤子が生まれた時、最初に認識するのは外側にある世界であり、
母親という〈他者〉です。
母親が優しく微笑みかけてくれ、大切に世話してくれるなら、
その子は自分のことを好ましく感じ、自分には価値があると思うようになります。
これがエゴの誕生です。
もし、誰にも微笑みかけられず、褒めてももらえないなら、
その時にもエゴは生まれます。
傷ついた、劣等感の強い、自分には何の価値もないと感じるエゴが…
こうしてエゴが誕生すると、その後、より多くの人と触れ合うことで、
それはだんだん複雑なものになってゆきます。
学校に通うようになれば、あなたについての先生の評価が新たに加わります。
友達をつくれば、あなたについての友達の意見もさらに加わります。
しかし、エゴは他の人々の意見が蓄積することで出来上がった自己像にすぎず、
リアルな存在ではありません。
なので、リアルな存在にまだ気づいていない人が知っているのは、
自分が他の人々にどう思われているか、ということだけです。
そして、人からの称賛や非難で、自己像は絶えずアップダウンします。
ですから、目覚めのプロセスが進みリアルな存在に気づくようになるまでは、
人からどう思われるかを恐れるのは、誰にも避けられないことなのです。
もちろん、傷ついた、劣等感の強いエゴのほうが、
そうでないエゴよりも臆病でしょうが、それはあくまで程度の問題です。