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プロセスが始まると、どうなるか(2)


僕が当時、抑うつや自己不全感、社会不安の発作といった さまざまな症状に苦しむようになったのは、 実は、目覚めへと向かうプロセスが始まったからだった、とも言えるのです。

なぜなら、心から興味のもてることに専心したいという欲求が湧くまでは、 受験勉強を最優先すべきという観念しか頭にはなく、 開成の厳しいカリキュラムにも順応していたからです。

僕の中に、そういう欲求が湧いてきて初めて、 親や教師から刷り込まれた観念とのあいだに激しい葛藤が生じ、 抑うつなどの症状が現れたのです。

開成には、官僚や医師の子息もけっこういて、 親から同じ職に就くことを期待され、猛勉強していましたが、 僕のように途中で抵抗感を覚えるようになった生徒は誰もいませんでした。

彼らの心の中には、葛藤を生むような欲求は湧いてこなかったからでしょう。

僕だって、目覚めへと向かうプロセスが始まっていなければ、 彼らのように従順な〈駱駝〉のまま勉強に専念できていたはずなのです。

川べりの土手で見つけたスギナとツクシ

実家の天袋から出てきた当時の日記には、

こんな想いが書きなぐられています――

なぜ高校生だからというだけで、 皆が皆、受験勉強だけに専念しなければならないんだろう?

受験勉強のみが高校時代に打ち込むべきものだと思い込んでいる連中は、 社会の枠にいかにして自分を合わせるかということしか頭にない。

これほど受験生の数が多い割に無気力な大学生が大半を占めてるってことは、 彼らが皆と同じようにしなくては…という不安からしか 生きる方向を定めていないからじゃないのか?

俺は何よりも自分自身が納得のいく生き方を、 胸にキリキリと生命を実感できる生き方を見つけたい!

でも、学校の、特に受験のための勉強だけでは、 どうやって生きていくのが最高なのかなんて何一つ見えてこない。

自分が本当にやりたい!と感じるものだって、ちっとも見えてこない。

見えてくるようになるのは、本当に好きな仲間と旅をしたり話し込んだり、 自分が本当に惹かれる本や映画や音楽なんかに「感じる」ことからだと思う。

自分にピッタリという道は、充実した喜びを「感じる」ことができる行動を どんどんとっていく時にこそ見えてくるし、つかめるのだと思う。

今の世の中は、それがひどくやりにくい状況をつくり出しているんじゃないか。

「そんなことをやっていたら、後で泣くぞ」という声に、 大多数は「感じる」ことを断念してしまう。

でも、俺には断念なんかできない!…

当時は、こんな想いに共感してくれる人は周りに一人もいなかったし、

どうして自分だけそう感じるのかわからず、とても孤独でしたが、

いま振り返ると、プロセスが始まっていたからなのだとはっきりわかります。

〈駱駝〉から〈獅子〉へと導く根源的なエネルギーが

僕を突き動かし始めていたのです。

(つづく)

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