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未知の何か
- yuhinohikari
- 2016年2月28日
- 読了時間: 2分
今日は、4年に1度しかやって来ない閏日(うるうび)でしたね。
前回の記事を書いてから、1ヵ月ほど経ちましたが、 その間にも、僕と妻との関係性にさらに深化がありました。
僕たちの間で起こっていることは、 二人とも過去にはまったく体験したことのない何かです。
僕は、恋愛で、沸き立つような歓喜や 涙が出るほど神聖な感覚を何度か味わったことがありますが、 どれほど気持ちが盛り上がっても、 それはフィーリングに過ぎず、“既知のもの”でした。
今、妻と共に体験しているのはフィーリングではありません。 もっと精妙なものです。
いわゆるフィーリングは やって来ては、しばらく留まり、やがて去っていきます。
どれほど強く深いものでも、 それを維持するには、心の中で反芻(はんすう)し、 言葉でエネルギーを注ぎ続ける必要があります。
でも、僕たちが体験している何かは、 激しい葛藤が何度起こっても消え去ることはなく、 何の働きかけもなしに、気づけば自然に更新されています。
妻から「本に何か書いていないの?」と訊かれますが、 当てはまるような記述は、熟知しているOSHOの本にも見当たりません。
そういう意味でも、未知の何かといえそうです。
※追記
いくつか過去記事に加筆しました。
今回、妻の許可を得て、彼女が過去に書いたブログ記事へ リンクを張ったものもあります。
約10年前の懐かしい出来事を読み返して、 同じ頃にリリースされた JOURNEYの名曲『After All These Years』を 思い出しました。
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