未知の何か
今日は、4年に1度しかやって来ない閏日(うるうび)でしたね。
前回の記事を書いてから、1ヵ月ほど経ちましたが、 その間にも、僕と妻との関係性にさらに深化がありました。
僕たちの間で起こっていることは、 二人とも過去にはまったく体験したことのない何かです。
僕は、恋愛で、沸き立つような歓喜や 涙が出るほど神聖な感覚を何度か味わったことがありますが、 どれほど気持ちが盛り上がっても、 それはフィーリングに過ぎず、“既知のもの”でした。
今、妻と共に体験しているのはフィーリングではありません。 もっと精妙なものです。
いわゆるフィーリングは やって来ては、しばらく留まり、やがて去っていきます。
どれほど強く深いものでも、 それを維持するには、心の中で反芻(はんすう)し、 言葉でエネルギーを注ぎ続ける必要があります。
でも、僕たちが体験している何かは、 激しい葛藤が何度起こっても消え去ることはなく、 何の働きかけもなしに、気づけば自然に更新されています。
妻から「本に何か書いていないの?」と訊かれますが、 当てはまるような記述は、熟知しているOSHOの本にも見当たりません。
そういう意味でも、未知の何かといえそうです。
※追記
いくつか過去記事に加筆しました。
今回、妻の許可を得て、彼女が過去に書いたブログ記事へ リンクを張ったものもあります。
約10年前の懐かしい出来事を読み返して、 同じ頃にリリースされた JOURNEYの名曲『After All These Years』を 思い出しました。