駱駝・獅子・幼子
哲学者のニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』の中で、
駱駝(らくだ)・獅子・幼子という、精神の成長の3段階について語っています。
最初の「駱駝」は、重荷を背負って砂漠の中をただ黙々と歩むだけ――
おとなしく服従し、与えられた責務を果たす、自由のない段階です。 この駱駝が、今までずっと自分を抑圧してきたことに気づくと、
他人の要求に対して「NO」と言う勇気のある「獅子」になります。
獅子は、押し付けられた価値観と闘い、自分自身でいようとする段階です。
そして、さらに深い目覚めが起こると、
獅子は、まったく無垢で自発的な「幼子」になります。
世界と自分自身が根本的に和解し、すべてに「YES」と言える段階です。
今、僕の半生を振り返ってみると、
まさにこの3段階の変化が我が身にも起こったと感じます。
ですが、僕は、高2の頃、自分の内に吼えている獅子を自覚して以来、
それこそが本来の自分だと思い、約35年もの間、固執してきました。
それは、両親から、無能感や存在不安を絶えず刷り込まれたことで、
臆病な駱駝として生きることに酷く苦しんだからです。
そのため、駱駝とは正反対の獅子の在り方こそが
心底求めているものだと強く感じ、自己同一視するようになったのです。
そして、丸山健二・戸井十月・泉谷しげる・忌野清志郎といった
数少ない獅子的な精神を持つ作家やアーティストに出会うと、
同類として特別視してもいました。
それに、親との共依存関係は、一方的に断ち切ったつもりでいましたが、
長い夢から覚めるまでは、呪縛から完全には解放されていませんでした。
そのため、無意識のうちに、対抗手段として
獅子的な在り方を貫くことをイデオロギー化してしまい、
それに囚われていたんだと思います。
そんな訳で、なかなか無垢な幼子になることができなかったのです。