突然、長い夢から覚めた
今、振り返ってみると、 「反骨のスピリット」というタイトルを掲げて 魂のカウンセラーとして活動を続けることに ずいぶん無理をしていたなぁと感じます。 出版社を辞めて、フリーになった最初の3年ぐらいは、 先行きの不安があってもスリルと見なし、 自分自身でいられる自由の解放感を満喫していました。 でも、経済的に厳しい状況が続くなか、 自分のあり方を貫こうとしていくうちに、 だんだん身体の緊張が緩まなくなり、肩の痛みが酷くなっていきました。 それは、僕よりずっと社会性や企画力があり 色々な会の立案や経理面で支えてくれていた 同い年の妻との間に軋轢が生じ、 お互いを理解し合えなくなっていったからです。 自分の直感や “流れを信頼して委ねる” ことに固執して 家計にあまりにも無頓着な態度でいる僕を、 妻は「家族への責任を放棄している」と責めるようになりましたが、 僕は、妻のほうこそ自分の感情に対する責任を放棄しているし、 エゴに囚われて流れを信頼できないのだと見て、 自分のあり方をまったく変えようとしませんでした。 それに加え、結婚当初から僕たちに過干渉かつ依存的で 妻にストレスを与え続けてきた母が未亡人になり、 それまで以上に僕たちを振り回すようになったことも、 夫婦の関係を悪化させました。 一人っ子の嫁として妻が真綿で首を締められるような思いをしていても、 共依存の親子関係の中で育った僕には母の言動が許容できてしまうため、 妻の “防波堤” に充分なれない、ということが大きな問題になったのです。 そんな訳で、妻との関係は不調和になる一方だったのですが、 僕は自分のあり方をかたくなに変えようとせず、 結果的に家族を大いに苦しめてしまいました。 なぜ、このようなことになってしまったのでしょう? それは、僕自身が 反骨のスピリットをもって妥協せずに生きるということや 〈全体〉の流れを信頼し、それに委ねて生きるといったことを、 無意識のうちに、ある種のイデオロギーのようなものにしてしまい、 若い頃からずーっと囚われていたからです。 出版社に勤めていた時は、そのように生きられずに悩んでいたので、 フリーになってからは、何があってもそのような生き方を貫くのが 自分にとっては一番自然なあり方なのだと信じていましたが、 実際には、自然ではありませんでした。 だからこそ、身体の緊張が緩まなくなり、肩の痛みが酷くなったのです。
もし、本当に自然なあり方だったら、状況がどうであれ 慢性的な緊張など続くことはなかったでしょう。 そう、はっきりと気づいたのは、 活動休止後、しばらく経ってからのことです。 まるで突然、長い夢から覚めたような感じでした。