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僕と妻の話


僕と妻は同い年で、共に4月生まれの牡羊座。 誕生日も5日しか違いません。

二人の馴れ初めは、大学一年の時、僕がボーカルをしていたバンドに、 彼女がキーボード担当の新メンバーとして加入したことです。

誰にでも癒し系の笑顔で接する気さくな人柄や 身長が高く日本人離れしている体型は、 僕の好みにジャストミート、すぐ彼女を好きになりました。

付き合い始めて数ヵ月でふられかけ、 1年近く会わなかった時期もありましたが、 その後、CAになった彼女とは半同棲を4年ほど続けました。

仕事で月に20日以上、海外に出かけてしまう彼女とは、 一緒に過ごせる時間はかなり少なかったです。

でも、二人とも束縛するのもされるのも嫌いだったので、 離れて過ごす時間は、それぞれに自由に楽しんでいました。

当時の僕は、サークルや行きつけの店などで知り合った女の子に 好意を寄せられることも少なくなかったけれど、 初めにステディな存在がいることを正直に告げて 「それでもいい」と言う子は拒みませんでした。

7歳年上の30代の女性と身体だけの関係を続けていたこともあります。

CAの彼女も、複数の異性とよく出かけていましたが、 そのことを知っていても、僕はぜんぜん平気でした。

オーセンティックな愛は自由の中でこそ育つ、と信頼していたからです。

当時は、結婚とは、お互いを所有し合って自由を破壊することであり、 自由がなくなれば、愛はすぐに形骸化する、と思っていました。

彼女の方は、それほどネガティヴに結婚を捉えていませんでしたが、 入籍は便宜的なものに過ぎず、それに縛られたくないという僕の想いは、 かなり理解してくれていたように思います。

そんなこともあり、89年初夏に入籍した当初は、 結婚式を計画していませんでした。

でも、お互いの両親のために90年の年明けに身内だけで挙式し、 新婚旅行は、さらにその数ヵ月後のベストシーズンに 2週間かけてギリシャの遺跡巡りをじっくりしました。

その時々で、二人にとって一番自然なタイミングを 常識にこだわらずに考えたのです。

その後の結婚生活では、僕のこだわりのせいで 妻にはずいぶん寂しい思いをさせてきたと思います。

僕は、世の男性なら普通にしている、 記念日や誕生日の特別なプレゼントとか

レストランの予約といったことを一度もしたことがないからです。

そうしたすべては、 自由を失うことで愛し合えなくなった男女が そうでないふりをする偽善的な行為だと思って、 毛嫌いしてきたのです。

でも、妻との関係性に大きなシフトが起きたことで、 それまでの僕は極端すぎた、と素直に思うようになりました。

今、振り返ってみると、 僕の両親には、過剰に高額な贈り物をしたがるきらいがあり、 人間関係のすべてがあまりにも儀礼的で儀式化していたので、 その反動で、逆の極端に走っていたのだと思います。

魂のカウンセラーをしていた時、 マインドはひとつの極から反対の極へと振れがちだと よく口にしていたものですが、 それは僕自身のあり方にも当てはまることだったのです。

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