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純粋意識という名の“宝石”


仏教で「仏性」と呼ばれてきた純粋意識は、

周りの世界や、思考や感情、身体の感覚……

そのすべてに、ただ気づいている “土台の意識“ です。

それは、常に “いまここ“ に、存在しています。  しかし、何らかの刺激にすぐかき乱されてしまう心が、

それに気づくのを邪魔しています。

もし、ほんのわずかな時間でも、心が紡ぎ出す夢が完全に止まり、

思考も感情もなく、この瞬間に、ただくつろいでいられるなら、 あなたは、その広がりに気づく可能性があります。 

前回の記事にも書いたように、

湧いてくる思考や感情に焦点を合わせるのではなく、

それらの “隙間” に注意を向けてみましょう。

そうすれば、その隙間が次第に拡がり、

より長い時間、無心でいられるようになります。

すると、ある日、思考や感情の背景にある、

純粋意識の広がりを、突然、はっきり自覚するでしょう。

そして、ずっと探し回っていた “宝石“ は、 すでにポケットの中にあったのだと知り、愕然とするでしょう。

あなたの心が作り出してきた不幸せな夢が、

長らく、その事実を覆い隠していたのです。

純粋意識は、広大無辺で、永遠であり、 あなたの人生に何が起ころうとも、決して失われることはありません。

それは、 “雲に覆われた太陽“ のようなもの――

空が黒雲に覆われていても、太陽は隠れているだけで、

ちゃんと存在していますよね。

雲が消え去れば、太陽は現われて、燦然と輝くのです。

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