“特別さ”という夢
突然、長い夢から覚めた日を境に、 僕の中で大きく変わったことがあります。
僕には、10代の頃から、 自分の魂が強く共振すると感じる人や物などに出会うと それを特別視する傾向があり、 心の中にそうした存在の記憶をずっと持ち続けていたのですが、 それらの “特別さ” が煙のようになくなってしまったのです。
具体的に言うなら、若い頃の親友や片思いの相手、 三森真人のあり方に特に共感してくれた少数の人たち、 感銘を受けたクリシュナムルティやOSHOの本、 自分が編集したインディアンの本、 若い頃にハマったロックのCDなどについての 鮮明なイメージやそれらに対する愛着が消えてしまいました。
そして、三森真人として活動していた時、 これこそが本来の自分だと感じていた個性さえ、 特別な存在の記憶と同一化することで維持されていた 夢にすぎない、と感じるようになったのです。
今でも、好みというのはありますが、 どんな対象にも “特別さ” をことさら感じることはないし、 自分にとって特別な誰かや特別な何かと出会いたいとも感じなくなりました。
ただ、普通の日常を淡々と生きているだけで 充分満たされているし、ぜんぜん飽きないからです。
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