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2つの選択肢


人は誰しも、自分の内から湧いてくるものに従って生きることに、

不安や恐れを感じるものです。 しかし、不安や恐れに負けて安全・安定を選ぶか、

それとも、怖くても自己を信頼して、自分の道を進むか、

その選択は、あなたに委ねられています。 もし、あなたが心配や不安から安全・安定を選べば、

それと引き換えに、自分軸で生きる自由が失われてしまいます。 逆に、もし、あなたが自分らしく生きる自由を選ぶなら、

安全も安定も保証されない道を、一人で進むことになります。 あなたは、この2つの選択肢の、どちらでも選ぶことができますが、

両方を、同時に選ぶことはできません。

実篤公園の紫陽花

世の多くの人たちは、不安や恐れから、安全・安定を選んで生きています。 誰もが歩いている、安全な道から外れてしまうことを恐れ、

自分の内から湧いてくる欲求を、抑圧してしまうのです。 怖くても、その欲求に従って自由を選ぶ人は、いつの時代でも少数でした。

もし、誰かが自由を選ぼうとすると、安全な道を選んだ人たちが心配し、

「危ないからやめておきなさい。言う通りにした方が身のためだ」と言って

止めにかかるからです。

それに、もし自由を選んだら、

自分の人生に起こることすべてに

責任を持たなければならなくなってしまいます。 不幸せになるか、幸せになるかも、自分の責任だし、

人生がどうなろうと、もう誰のせいにもできません。

でも、周りの人たちに言われるままに安全な道を選べば、

そうした責任の重荷を負わずに生きていけます。 責任は、あなたに指示を出した誰かが負ってくれ、

言われた通りに行動していれば、あなたは安泰でいられるのです。 そういうわけで、世の多くの人たちは、自由を選んできませんでした。

しかし、自由を選ばない人は、責任という重荷を手放すだけでなく、

その人固有のスピリットも失ってしまいます。 もう、自分らしく生きることはできないし、

与えられた天性に沿って成長することもできません。 そして、他者への従順さと引き換えの安全に慣れてしまうと、

もう一つの選択肢があったことさえ、忘れてしまいます。 しかし、そんな隷属状態に心底うんざりし、

それを選んできたのは自分自身だ、とはっきり気づけば、

いつでも選択を変えて、自由の道を進みはじめられるのです。

その決断は、完全にあなた次第であり、誰にも妨げることのできないものです。

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