瞑想しなくなった訳
- yuhinohikari
- 2016年6月5日
- 読了時間: 2分

長い夢から覚めて以来、 僕はすっかり瞑想をしなくなりました。
瞑想は、21歳の冬に当時彼女だった妻にふられかけた時、 失恋の痛みを直視するために始め、 見性体験が起こった後もずっと続けていたので、 僕が瞑想をしない日が来るなんて、 彼女にはかなり驚くべきことだったようです。
では、なぜ瞑想をしなくなったのかといえば、 自分自身が長い間どんな罠にはまっていたかに気づき、 慢性的な緊張や苦痛から根本的に解放された結果、 する必要がなくなったから、ということに尽きます。
魂のカウンセラーをしていた当時は 仕事が上手くいっていなくても、 「目覚めの体験が始まると、より困難な状況が 次々起こってくる」という精神世界の教えを楯に取って、 僕の瞑想的な意識はかなり成長しているから 自分のあり方を変える必要なんてない、と思っていました。
そして、いくら夫婦関係が悪化しても、 妻が僕にぶつける感情は彼女が向き合うべき問題であり、 僕は瞑想で自分の苦しみを癒すだけでいいと考えていました。
それは、若い頃から自分の苦しみは独りで癒してきたし、 瞑想し、意識を成長させることで どんな困難な状況も乗り越えられたと感じていたからです。
それなのに、いくら瞑想で痛みを見守っても癒されず、 自分に起こってくる状況も好転しないので、 いったいどうすれば抜け出せるのか、 出口のわからない苦しみだ、と感じていました。
当時の僕は、過去記事に書いてきたような 極端な自分のあり方自体が妻の苦しみを強め、 その辛さから生まれる彼女の怒りが僕を苦しめるという メカニズムになっていることに全然気づいていなかったのです。
でも、長い夢から覚めた日、 そのカラクリをはっきり見通せたことで、 自分自身で苦しみの連鎖をつくり出すのをやめました。
それで、妻との関係性に大きなシフトが起こって 再び深く愛し合えるようになり、 瞑想する必要性を感じなくなったのです。

写真はどちらも5月下旬の軽井沢
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