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瞑想しなくなった訳


長い夢から覚めて以来、 僕はすっかり瞑想をしなくなりました。

瞑想は、21歳の冬に当時彼女だった妻にふられかけた時、 失恋の痛みを直視するために始め、 見性体験が起こった後もずっと続けていたので、 僕が瞑想をしない日が来るなんて、 彼女にはかなり驚くべきことだったようです。

では、なぜ瞑想をしなくなったのかといえば、 自分自身が長い間どんな罠にはまっていたかに気づき、 慢性的な緊張や苦痛から根本的に解放された結果、 する必要がなくなったから、ということに尽きます。

魂のカウンセラーをしていた当時は 仕事が上手くいっていなくても、 「目覚めの体験が始まると、より困難な状況が 次々起こってくる」という精神世界の教えを楯に取って、 僕の瞑想的な意識はかなり成長しているから 自分のあり方を変える必要なんてない、と思っていました。

そして、いくら夫婦関係が悪化しても、 妻が僕にぶつける感情は彼女が向き合うべき問題であり、 僕は瞑想で自分の苦しみを癒すだけでいいと考えていました。

それは、若い頃から自分の苦しみは独りで癒してきたし、 瞑想し、意識を成長させることで どんな困難な状況も乗り越えられたと感じていたからです。

それなのに、いくら瞑想で痛みを見守っても癒されず、 自分に起こってくる状況も好転しないので、 いったいどうすれば抜け出せるのか、 出口のわからない苦しみだ、と感じていました。

当時の僕は、過去記事に書いてきたような 極端な自分のあり方自体が妻の苦しみを強め、 その辛さから生まれる彼女の怒りが僕を苦しめるという メカニズムになっていることに全然気づいていなかったのです。

でも、長い夢から覚めた日、 そのカラクリをはっきり見通せたことで、 自分自身で苦しみの連鎖をつくり出すのをやめました。

それで、妻との関係性に大きなシフトが起こって 再び深く愛し合えるようになり、 瞑想する必要性を感じなくなったのです。

写真はどちらも5月下旬の軽井沢

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