無常迅速
- yuhinohikari
- 2016年6月25日
- 読了時間: 4分
今日は、マイケル・ジャクソンの命日でしたね。
彼が逝ってしまったのはついこの間のことのように思えるので、
あれからもう7年も経ったなんて驚いてしまいます。
僕は70年代からリアルタイムで彼の活躍を見てきた世代だけに、
当時はジョン・レノンが殺された時のような大きな衝撃を覚えたものです。
さて、梅雨入りの頃、仙川にあるお寺で、
義父の七回忌(しちかいき)法要をしてもらいました。
もともと健康に自信があり元気に暮らしていたので、 2009年8月に、末期がんで余命数か月と聞いた時は、 とても驚いたことを憶えています。
義父は、宣告を受けた後も前向きに闘病していましたが、 翌年、無常の風に誘われて70代で亡くなりました。
葬儀の際に耳にした『白骨の御文書』の 「朝(あした)は紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり」という 強烈なフレーズは今でも忘れていません。
そして、僕はそんな死を目の当たりにしたことで フリーになることを決意しました。
自分に残された時間も長くないかもしれない・・・ それなら、これ以上先延ばしせずに会社を辞めよう、と思ったのです。
起業の準備期間中には、東日本大震災があり、 家族と東京を離れるべきかどうか迷ったりもしましたが、 結局、その年の秋に魂のカウンセラーとして活動をスタートしました。
個人セッションを手始めに、
2012年の5月からエックハルト・トール読書会、
6月には、須藤裕司さんとのトーク会、
11月には、大阪で「流れに乗る生き方」勉強会など、
様々な催しも開いてゆきました。
大阪の他にも、仙台や名古屋に伺った時は、
関東以外の方にも直にお会いでき、
充実した時間が過ごせて嬉しかったです。
当時、女性の参加者が多かったこともあり、
ほとんどの会の企画やマネージメントは、
僕より感性が豊かで頭の回転も速い妻に、ほぼ頼り切っていました。
例えば、エンプティネスを愉しむ集いなどでは、
鎌倉(備屋珈琲+建長寺+街歩き)
六義園(心泉亭+紅葉と抹茶)
殿ヶ谷戸庭園(紅葉亭+雪景色)
大宮(アトリエ光波+氷川神社)
表参道(骨董通りの会議室+岡本太郎記念館+MOMA)・・・
読書会やセミナーなどでも、
+食事会、+花火、+お花見、+キャンドルナイト、+ミレー展・・・
一昨年の瞑想会の
4月4日(桜)、7月7日(七夕)、10月10日(エンジェルガーデン)
という数字遊び・・・
これらはすべて彼女のアイディアです。
そんな訳で、僕は会の内容構成だけに専心していたし、
流れを信頼して委ねることに固執するあまり、
自分の活動がビジネスとして成立しているかどうかには無頓着でした。
2014年の夏頃から、かなり収入が減ってきたのですが、
それでも僕は、自分の在り方を変えようとしませんでした。
そしてそんな中、10月の魂の言葉を味わう会(+ミレー展)の参加者が
2人しか集まらなかったことが、妻をひどく落ち込ませたのです。
それほど逼迫した状況でも、
現状を打破する気のない僕に対して、
彼女は虚しさと怒りを覚えたといいます。
今の仕事を止めてほしいとは言わないまでも、
何か別の仕事をプラスできないものか、という要望でさえ、
僕は断固拒否し「NO」と言い続けたからです。
夫婦関係の歯車は一気に狂い始め、
過度に依存的な姑に加え、まったく話の通じない夫に
心身がすっかり疲れ果ててしまった彼女は、
僕をサポートすることから完全に手を引いてしまいました。
そして、2015年春にすべての活動を休止せざるを得なくなったのです。
今、振り返ると、
本当にあっという間の6年だったなぁと感じる一方で、
三森真人として経験したすべては
遠い彼方へ去ってしまったと感じます。
どんなことでも同じ状態が続くことはないし、
永久不変のものなど何もない――
改めてそう思う、今日この頃です。
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ちょうど去年の今頃、紫陽花を見に北鎌倉へ久しぶりに出かけました。
建長寺の天井画『雲龍図』は何度見ても迫力があり、
同じ作者・小泉淳作の『双龍図』を見てみたくなったので、
翌月には、京都の建仁寺も訪れてみました。
その時に撮った写真を載せておきますので、見比べてみて下さい。

建長寺『雲龍図』

建仁寺『双龍図』
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